私はパリに嫌われていた
さて、ロワッシーで過ごした後、パリ観光をするのですが、その前に、私とパリがいかに「犬猿の仲」であるか、というお話をします。
私が初めてパリに行ったのは20歳のことで、滞在期間は僅か2泊3日でした。
■凱旋門
その時、パリでは労働者による大規模なストライキが決行されており、交通機関は全てストップ、車に頼るしかないパリ市民によって、半端ない渋滞があちこちで起こっていました。
しかもそれだけではなく、国営の施設も全て閉館していたのです。
私はルーヴルにもオルセーにも行くことができませんでした。
そして、その当時フランスには友人がいて、彼女の家に招待されて楽しい時を過ごしたのですが、いざ宿に帰ろうとすると、これまた交通渋滞。
彼女は車で送ってくれるつもりだったのですが、「あなた歩いて帰ったほうが早いわ!」と言われ、凱旋門で車を降ろされてしまいました。
こうして歩いて宿に戻らざるを得なくなった私ですが、何しろ道がわからない。
英語で人に道を尋ねても、フランス語で答えが返ってくるのでますますワケわからん・・・。
足が棒になるほど歩き続け、3時間かけてようやく宿にたどり着きました。
サイアクです!
しかもその晩、友人と3人でパエリアを食べに行ったのですが、そのパエリアで食中毒になりました。
ふぅ、私のパリの思い出って一体・・・(>_<;)
パリとは相性が悪いとつくづく思い、パリを後にしたのでした。
私はパリに嫌われていた -2-
私の「パリに嫌われている」説はまだまだ続きます。
20歳の終わりにイギリスに移住しましたが、その年に再びフランスにいる友人を訪ねて行こうと計画しました。
私は「ロンドン-パリ」を結ぶユーロスターに乗ってパリに行くことにしました、が、出発当日、駅に行ってみると・・・出発ゲートが閉まっている!
何が起きたのかわからず、職員らしき人に聞いてみると、その日の朝、チャンネル・トンネル(ドーヴァー海峡の下を通るユーロスターのトンネル)で大火災が発生したとのこと、暫く列車は運休になる、と言われました。
私は当時、家にテレビを持っていなかったので、その火事に気づかなかったのです。
こうして、家を出て2時間後に、家に戻ってきました(-_-;)
そしてその翌年、日本に一時帰国をして、そこからロンドンに戻る際、経由地の韓国で5日ほど過ごしました。
大量の韓国料理を楽しんだ後飛行機に乗り込むと、具合が悪くなり、何度も戻しました。
その時は自分に何が起こったのかわからず、ロンドンの家に帰宅しても、私は食べ物を受け付けず寝たきりに。
実はロンドン到着2日後に、友達とパリに行く計画を立てていました。
しかし、私は急性胃炎で憔悴しきっており、パリに出発することができませんでした。
こうして再びパリ行きを断念し、「私はパリに嫌われている」という鉄板の伝説を築き上げてしまったのです。